report

Vol.5 【親子でも参加できる和菓子づくり】〜御菓子司 萬年堂本店400年の味〜
講師 樋口喜之 Yoshiyuki Higuchi

CREATIVE SALONとは…

大人の遊びと学びの場、「LOUNGE SIX CREATIVE SALON」。 多様な分野から気鋭のアーティストをお招きし、クリエイティブな学びの場となるGINZA SIXのVIP会員様だけにお届けするプログラムです。

> 詳しくはこちら

2019 Vol.5 【親子でも参加できる和菓子づくり】〜御菓子司 萬年堂本店400年の味〜

盛夏を迎え5回目を数えるところとなったCREATIVE SALON。今回は3歳以上のお子様も参加できる初の試みとして、江戸時代初期に創業し2017年に400年を迎えた老舗の御菓子司「銀座 萬年堂本店」13代目、樋口喜之さんによる和菓子作りのワークショップが登場。LOUNGE SIXの個室のみを使用し各回10人・全3回の実施とあって、濡れ手拭い、お箸、三角錐の木べら…といったセットが人数分、大きな長テーブルにレイアウト。10人が一つの食事会のように着席するスタイルにも、これまでとまた違った新鮮味が漂う。

実演を前に、和服姿も板に付いた13代目が「銀座 萬年堂本店」のショートヒスストーリーとして、元和3年(1617年)に京都寺町三条で「亀屋和泉」を名乗り創業、御所、所司代、寺社などに菓子を納めていたこと。明治天皇の遷都に伴い、明治5年(1872年)に東京八重洲北槇町に移転し、維新以降に失職した士族などが新たに商いを始める際の流行りだったという「堂」を付けた「亀屋和泉萬年堂本店」の看板を掲げたこと。震災と戦災で相次いで八重洲の店舗を消失し銀座に移転、現在はGINZA SIXを目と鼻の先、銀座コアのあずま通り沿いの1Fに本店を構えていること。工場(こうば)は浅草橋にあること…などを参加者にアナウンス。さらに「和菓子」という言葉は、舶来の「洋菓子」が入ってくるようになって使われ始めたまだここ数十年のもので、卵以外は基本的に植物性の材料を用い、季節や季語と密接に関係していることが他国の菓子と違う最たる特徴との説明を経て、いよいよ、生菓子作りへ!

昼間はほとんど毎日工場に詰めているという13代目のさすがの実演を一通り見て頭に入れて作るのは、夏の御菓子である「練り切り」の朝顔、さらに普段は出していない日差しや白波をイメージしたこの日のためのオリジナルだという「きんとん」の2種。

まず朝顔は、ピンク色の餡を手のひらの上で広げ、真ん中にこしあんをのせ、丸めて塞いだ上に、「はりぼかし」というテクニックで白い餡を文字通り、ぼかすようにのせる。続いてキメの細かい白布でくるんだ上から、前述の木べらで「梅や桜と違ってあえて柔らかく」押し付けることで朝顔らしい花びらを描く。そして中央を箸で窪ませて布を外し、そこに寒天を溶かして作った透明の錦玉を一粒、夜露のように置くのだが、「餡はベタベタするので、これでもかというくらい(笑)、手を湿らせてください」と朗らかな人柄を感じさせる13代目のアドバイスをもってしても、これがなかなか難しい。

一方で「きんとん」とは、練り切りの餡を網目でこし出して、餡玉の周りに箸で付ける御菓子を指すが、今回は菊による黄色、クチナシによる白色、紅麹によるピンク色、紫芋によるパープル色と、自然界の4色を用意。13代目曰く「付けすぎると、きんとんが巨大化しますので(笑)、注意してくださいね」。とはいえ、参加者からは「それでもやっぱり難しい(苦笑)」との声も。

そうしてできあがった思い思いの御菓子は、その場で食するも、持ち帰るも自由。帰り際は手土産に「銀座 萬年堂本店」の定番の御菓子で、夏場は特にご贔屓にするお客様が多いという「本わらび 吉野葛 調製 喜(よし)のつゆ」も配られ、これが黒糖を使った柔らかなわらび粉が“つゆ”というだけあって夜露を思わせる繊細な食感。冷蔵菓子でもあるため、しっかり冷やして口に運ぶと、たまらないおいしさが広がる。

そうして手を動かして和菓子を作り、さらに実際にできたものを味わうことで、日本の奥深い文化を改めて身近に感じることに繋がった今回のCREATIVE SALON。次回のコンテンツにもさらに期待が膨らむ。

Q&A インタビュー

  • Q

    13代目は御菓子作りの修行は何歳から始めたんでしょうか?

    小さい頃から「おやつをもらえる!」という感覚で、あと今思うと御菓子を作る職人を見るのも好きで、工場にはよく遊びに行っていたんですが、「商いなんて継ぐものか」と若気の至りで、大学卒業後は畑違いの会社に就職したんです。でも、数カ月も経ったら「うちの親父って結構すごいんじゃないか」「いずれは帰って継ぐんだろうな」と思い始めました。そうこうしているうちに、親父が体を壊して、結局、3年でサラリーマンを辞めることに。12代目は旦那仕事がメインで職人ではなかったので、父より年上の職人にそこから工場で丸3年、みっちり教えてもらいました。

  • Q

    そうした技術だけでなく、先の代々から受け継いできたものがあるとしたら?

    13代かけて築いてきた御菓子は、お客様の人生とも完全にイコールなんです。それこそ元禄から家伝の高麗餅で、明治の中頃にそれまでのものを赤飯に見立て「蒸物製 御目出糖(おめでとう)」と名付けたうちを代表する商品があるんですが、先祖の代からご出産、七五三、成人式、結婚式、米寿…と一生のお付き合いをしてくださっているご家族がたくさんいます。「御目出糖」がご一家の文化になっているのは、本当にありがたいことだと思っています。

  • Q

    今の時代に和菓子を改めて普及することの意味とは?

    和菓子そのものというより、大事なのはおもてなしの文化を守るということだと感じています。それに応えるものを一生懸命作らないといけない。そういう意味では、うちの屋台柱である「御目出糖」を改めてちゃんとアピールしていきたいですね。家を継いだ25年くらい前は、4月の入学シーズンになると、たくさんの小学生や中学生が親と一緒に、ご祝儀をいただいたおじいちゃんおばあちゃん、親戚や近所の人たちにお礼に行くからと「御目出糖」を買いに来たものです。そういう気持ちを今の時代においても持ち続けている方々に、選んでいただける御菓子でありたいと思いますね。

  • Q

    最後に萬年堂の御菓子作りが他と違う点を教えてください。

    例えば、本当にいい丹波の大納言小豆というのは、有名な料理屋さんが押さえてしまうので、なかなか出回らないんですね。一方で丹波大納言という名称で流通しているものはものすごくあって、でも、必ずしもおいしいとは限らない。そうであれば、うちは北海道のもので本当にいい大納言を探して使おう。または納得する素材が手に入らないなら作るのをやめよう、というスタンスでいます。数十年前までキビ粉をつかった定番の御菓子があったんですが、理想とするキビ粉が手に入らなくなって、「妥協するくらいなら」と製造をやめました。そういう選択を「銀座 萬年堂本店」では大事にしていきたい。その代わり、全く新しい御菓子を生み出す。伝統とは味だけに限らず、そういう気持ちを後の代に橋渡ししていくものでもあると思っています。

PROFILE

樋口喜之 Yoshiyuki Higuchi

「銀座 萬年堂本店」現当主で13代目。若干30歳で12代目だった父を亡くし、以来約25年、今でも日々、工場(こうば)で職人として、夕方以降は銀座の本店に立つ。

Text:Yuka Okada(edit81)
Movie&Photos:Kazutaka Kimura


VIP MENU