この数年にあたらしく建ったらしいビルをきょろきょろと眺め、本間文乃は歩行者天国になっている車道を歩く。日の入りはすっかり早まって、夕方五時前だというのに、背の高いビルの上部はもうだいだい色に染まっている。街路樹につけられた電飾がぱちぱちと灯り、一気に通りははなやかになる。
ビルとビルに挟まれた、入り口にアーチのかかった古い喫茶店の前で文乃はふと立ち止まる。この店。店の前の観葉植物、星のロゴマーク。いっぺんに思い出があふれ、文乃は戸惑う。今までどうしてきれいさっぱり忘れていたんだろう。
この喫茶店にきたのは二十年以上も前のことだ。隣の駅に本社がある通販会社に文乃は新卒で入社した。新入社員は研修を受け、最低でも一年間、お客さま相談室で鳴り続ける電話を受ける。苦情処理と考えてはいけない、改善点を教えていただきそれを生かす会社の心臓部と考えなさいと上司に言われていた。でもかかってくる電話の8割は苦情か鬱憤晴らしで、1.5割は質問で、0.5割は感謝や賞賛だった。企業にブラックなんて形容詞をつけなかった当時、残業も休日出勤も、上司の一言で決定された。
奇跡的に残業のない日、ひとり暮らしのアパートにまっすぐ帰る気がせず、文乃は、少し歩いたところにある名画座でレイトショーを見た。見る映画はなんでもかまわなかった。上映時間が三十分後ならば、この喫茶店で時間を潰し、三十分過ぎていればチケットを買ってしずかに館内に入った。気がつけば、ここで見る映画は文乃にとって救命道具的な存在になっていた。
客席はいつもまばらで、いちばん多いときでも十人もいなかった。だから、かなりの確率でその人がいることに文乃はそうそうに気づいていた。文乃より何歳か、もしかしたらひとまわりくらい年上の男の人で、いつもスーツを着ていて、前から二番目の真ん中の席に座る。十回のうち八回はかならずいる。エンドロールが流れて館内があかるくなると、その人はすぐに出ていく。
映画を見続けて一年後、相談室勤務も終わるころ、その名画座は閉館することになった。半年ほど前に告知があり、ショックを受けつつも、でも署名運動とかで閉館は延期されたりするんじゃないかと文乃はうっすら思っていたのだが、そんな告知もないまま刻々と日は過ぎて、もう来週が閉館予定日になってしまった。
その日残業のなかった文乃は、祈るような気持ちで名画座にいった。映画の開始三分前に座席に着くことができた。もう館内は暗かったので、いつもの人がいるかどうかはわからない。鞄にはプレゼントが入っている。よく時間を潰していた喫茶店のマグカップだ。なぜかわからないけれど、一年間、ここでいっしょに映画を見続けた知らない人に渡したかった。
二十代の文乃は、その日映画を見終わって、その知らない人にリボンのついた包みを渡した。え、という顔をするその人に、「映画館がなくなってしまうのが残念すぎて、なぜかプレゼントを買ってしまいました」と妙な言い訳を口にした。ありがとう、と言って彼はそれを受け取ってくれた。
ここで映画を見た日々を、もしかして自分と同じように救われたかもしれないいくつもの夜を、あの知らない人にも覚えていてほしかったのだと、二十数年たった今、文乃は思う。今では顔もぼんやりとしか思い出せないあの人は、今もあのカップを使ってくれているような気がする。そしてコーヒーを飲むときは、映画館のやさしい暗闇をきっと思い出しているはずだ。
名画座はなくなってひさしいけれど、喫茶店がまだあることに不思議なくらいほっとして、クリスマスソングの流れるなか、文乃は待ち合わせの店に向かう。
THE GIFT
CARTIER
[ 2F ]VAN CLEEF
& ARPELS
CELINE
[ 1F-2F ]FENDI
[ B1F-3F ]GUCCI
[ 2F ]SAINT LAURENT
[ B1F-2F ]VALENTINO
[ B1F-4F ]PIAGET
[ 1F ]DELVAUX
[ 2F ]CHOPARD
[ 1F ]JAEGER-LECOULTRE
[ 1F ]JIMMY CHOO
[ 2F ]FRANCK MULLER
[ 2F ]MANOLO BLAHNIK
[ 2F ]FRED
[ 1F ]MM6 MAISON
MARGIELA